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鶴瓶新野のぬかるみの世界

タイトルと関係ないけど学生時代の私です。

右の緑の法被が私、八代目童亭捨丸を襲名する前の童亭誤丸。
左の緑の法被が相方の河内家魅恋くん。

そろそろ眠いのでクロージングです。


私の落研の先輩である笑福亭鶴瓶さんが昔やってたラジオ大阪の番組。
『鶴瓶新野のぬかるみの世界』


【2006年5月29日に私が書いたブログ記事です】

私にとって部落差別問題は大事なテーマです。

人権問題を理念に掲げた出版社に勤めているので当たり前ですが。
このテーマを選んだきっかけは、会社の仲間と飲んでるとき、大阪ローカルの超人気ラジオ番組だった『ぬかるみの世界』の話が出たのがきっかけです。

『ぬかるみの世界』は高校時代、よく聴いていた。
深夜に布団のなかにラジオを持ち込みイヤホンで聴く。
放送作家の新野新先生と、私の大学の落研の先輩である笑福亭鶴瓶師匠の番組だ。

関東の人は番組名は聞いたことがあっても、どんな番組なのかわからない。
私はどう説明していいか迷った。

思い出してみた。
たとえばこんな放送があった。

リスナーからの手紙を鶴瓶師匠が読む。
被差別部落出身であるために辛い思いをする女子高生からの手紙。

手紙を読み終えたあと、重い空気が静寂の中に流れ、鶴瓶師匠が低い声でつぶやく。

「新野先生・・・部落差別て・・・なんでなくならへんのん・・・?」

その回は最後までその話題で突っ走ったような気がする。

こういう番組である。
これが当時、関西の若者の心をとらえて離さなかったのである。

部落差別は関西では特にデリケートな話題だ。
みな、誰も触れたがらない。
触れたがらないくせに差別はする。

人を差別するのはいけません・・・
と、言いながら、自分の娘が付き合っている男性が部落出身者だと大反対する。
人間とはそういうものである。

私が育った町は団地街で、みんな地方出身者だった。
私の父も愛媛県の人。
だから被差別部落はなかった。
しかし、物心ついたころにその存在を知った。
友達との間で話題にのぼるからだ。
須磨と長田の区界にあった高校へ進学すると、更に具体的に知るようになる。

神戸は皮革産業が盛んな街である。
我々が日常お世話になる靴や鞄は革製が味わい深い。
なぜ差別されるのかわからない。

ステーキを食べて「おいしいね」と笑いあう。
でも、牛や豚を屠殺する職業を忌み嫌う。
その矛盾にすら気づかない。

関東の人はよく言う。
「いまどきそんなのないよ」
あるのである。
関東地方にだってあるのである。

一番よく聞くのは結婚差別。
私も何人かの後輩から相談を受けた。
あと、就職差別。
なんでそんなこと、わかってしまうのか。
なんでそんなこと、調べなきゃならんのか。

もちろん、私はエセ同和の実態も知っている。
しかし、だからといって差別していいとは絶対に言えない。

「同和は怖い」ということもよく聞く。
ちょっと待ってくれ。
怖いのはあんたの偏見や。
社会的弱者は保身のため威嚇することを覚える。
それを「同和は怖い」、「だから差別していい」というふうに考えるとすれば、とんでもない話である。

『妖怪人間べム』というマンガを子どものころテレビで見てた。
面白くてドキドキしながら見た。
長じてのち、深夜のテレビで再放送を見た。
懐かしかった。
と同時に、これは子どもよりむしろ大人に見せたいマンガだな、と思った。
実に鋭く社会の病理をえぐっているのだ。

べム(父)、ベラ(母)、ベロ(子)の3人は妖怪人間。
人間になるのを夢見ている。
いいことをすれば早く人間になれる・・・
こう考えた3人は困った人、弱い人を助けるために奔走する。
しかしいつも、最後には妖怪だということで迫害に会う。
毎回、毎回、何度も、何度も、人間に裏切られる。
しかし、彼らは人間以上に人間的で優しい心を忘れない。
悪に敢然と立ち向かい大活躍する。
しかし、いつもラストは肩を落として闇に消えていく。

最終回だろうか。
ベロのこのセリフに私は目頭が熱くなった。

「ベム、ベラ、ぼく、もう人間にならなくてもいいや。だって人間はとっても残酷な生き物だってわかったもん」

大人向けのマンガである。

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